学ぶことの本質〜論語より〜

これまで英語教育に関することで,書物を読んだり,学習会に参加をしてきました。


自分はそれが「学習する」ことだと思っていました。


そうこうしている内に自分自身を見失いそうになりました。それは,自分のやりたいことが一体何なのかわからなくなったからです。達人先生や書籍に書かれている技に目を奪われてしまっていたからです。それから少しずつ自分なりにやりたいことを見出し,その実現にはどう工夫すればよいかを考えようとしてきました。それが今の段階かもしれません。しかし,まだその真似る,「考えない」癖は完全には直っていないのかもしれません。


先日本屋にある本を求めにいきました。それは「論語」についての本です。今年の研究に限ったことではなく,自分のあり方がどうあるべきなのか,孔子の言葉の中にはヒントがあるのではないかと考えたからです。できる限りわかりやすいものを選んだところ,齋藤孝先生の著書が非常に明快に書かれていたので,それを購入しました。


声に出して読みたい論語

声に出して読みたい論語


その中に,自分の心に響くものがありました。


巻第一 為政第二 十五
子曰わく,
学んで思わざれば則ち罔(くら)し。
思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし。
(先生が言われた。「外からいくら学んでも自分で考えなければ,物事は本当にはわからない。自分でいくら考えていても外から学ばなければ,独断的になって誤る危険がある。」)


という内容のものです。
読んだものをただ頭に入れて,学んだつもりになっていたこと,自分が考えたことに柔らかさがなく,一方的なものの見方しかできていなかったことなぁと感じます。脳をフル回転させる能動的なアクションをしていかなければ,と思います。一方的に受動する習慣しか身についていないことを反省しながら,これからの生活に勤しみたいと感じます。正しい習慣が身に付くように望みながら。