同じ?違う?

今日は校内研修の一環としてユニバーサルデザインについての講話がありました。私はUDについての多少の知識があるだけで,ではUDを実際にどのように具現化するかは定かではありませんでしたので,良いきっかけになるものと思いました。


今日お話下さった指導主事先生からは「合理的配慮」の必要性,それ故のUD,として説明がありました。最終的に「こんな視点で取り組むことでUDとして取り組めます」というチェックリストを下さいました。それは確かにそうなのです。チェックリストの視点を日頃の授業に盛り込むことで,多少なりUD化した構成になるものです。


私が懸念したのは,与えられたものをただ実践に取り入れていいものか,ということです。教育活動・授業を行う上でのハードな側面については改善していけるところを改良していきたいものです。生徒のマインドに関わるソフトな側面については,良いと言われているものだからと何やらかんやら取り入れることにはどうかと思いましたし,帰納的に実践する必要もあるように感じました。つまりは生徒の躓き特性を理解したり,認知処理の視点で捉えたりしたことからUDの選択と集中があっても良いように思いました。


一部分と一部分と一部分が連なっていけば十分UD化していけると思いますし,より生徒の実態に即した支援ができるような気がするんだけどね。演繹的するのか帰納的にするのかは実践者が生徒を見ようとしているか否かなのかなぁ。どちらでも良いことをしようとしているのは変わらないし,一見すると同じように見えるのに,中身は違う気がするんだけどなぁ。どっちかに答えを出そうとすることが愚問なんだろうなぁ。